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潮(うしお / うしほ)は日本海軍の駆逐艦〔#日本軍艦集2600年版p.45『一等驅逐艦 潮(うしほ) 基準排水量1,700噸、長さ113.2米、幅10.3米、平均吃水2.97米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管9門、起工昭和4年12月24日、進水昭和5年11月17日、竣工昭和6年11月14日、建造所浦賀船渠株式會社 ― 特型驅逐艦。一文字名前のものには、このほかに、曙、朧、漣、雷、電、暁及び響の七隻がある。』〕。一等駆逐艦吹雪型(特型)の20番艦(特II型の10番艦)。吹雪型の後期型(朧型)〔#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』〕。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「潮」に続いて2隻目〔。 ==艦歴== 浦賀船渠で建造〔#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『潮|一等駆逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|4-12-24|5-11-17|6-11-14|(艦装備略)』〕。1929年(昭和4年)12月24日に起工〔。一等駆逐艦に類別された。1930年(昭和5年)11月17日に進水〔〔#進水p.12『電報 駆逐艦潮十七日午後二時三十四分無事進水セリ』〕。1931年(昭和6年)11月14日に竣工〔。第7駆逐隊に編入。 1932年(昭和7年)、第一次上海事変において長江水域の作戦に参加。 日中戦争に際して、1937年(昭和12年)以降、上海、杭州湾上陸作戦、仏印の作戦に参加。 1940年(昭和15年)4月15日、「漣」の復帰により第7駆逐隊は4隻(潮、曙、朧、漣)となり、引続き第6駆逐隊(暁、雷、電、響)と共に第二艦隊・第四水雷戦隊(旗艦「那珂」)に所属する〔#支那事変第8回功績(7駆)p.1『自昭和十五年四月二十九日|第二艦隊第四水雷戦隊 對事変内地待機勤努』〕。11月15日、第6駆逐隊と第7駆逐隊は第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦「阿武隈」)に編入される〔#支那事変第8回功績(7駆)p.1『自第一艦隊第一水雷戦隊 對事変内地待機勤努』〕。 1941年(昭和16年)7月18日、第7駆逐隊は第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将)・第一航空戦隊(空母赤城、加賀)に編入される〔#支那事変第10回功績(7駆)p.1『自7月18日至11月31日|第一航空艦隊第一航空戦隊 對事変内地待機勤務』〕。8月、それまで7駆司令だった渋谷紫郎大佐は第16駆逐隊(雪風、時津風、天津風、初風)司令へ転出、第7駆逐隊に小西要人大佐(後日、軽巡洋艦「阿武隈」艦長。雲龍型航空母艦1番艦「雲龍」艦長として戦死)が着任した〔#支那事変第10回功績(7駆)p.1『8月12日旧司令渋谷大佐転任、新司令小西大佐ノ部下ニ属ス』〕。 9月1日、「漣、朧」は第7駆逐隊から除籍され、第五航空戦隊(翔鶴型航空母艦《翔鶴》、特設航空母艦《春日丸》)に編入される〔#内令昭和16年9月(1)p.3『内令第九百九十七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年九月一日 海軍大臣 及川古志郎 第七驅逐隊ノ項中「朧、」及「、漣」ヲ削ル』〕。第7駆逐隊は一時的に2隻(潮、曙)となるが、「漣」は9月25日に第7駆逐隊に復帰〔#支那事変第10回功績(漣)p.1『9月25日七駆ニ復帰』〕〔#内令昭和16年9月(4)p.21『内令第千百十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十六年九月二十五日 海軍大臣 及川古志郎 第七驅逐隊ノ項中「潮」ノ下ニ「、漣」ヲ加フ』〕。第7駆逐隊は吹雪型3隻(潮、曙、漣)で太平洋戦争に突入した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「潮 (吹雪型駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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